道端の石を大切に持ち帰る息子のこと
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いつからだろう。
道端に落ちている石を拾わなくなったのは。
いつからだろう。
河原で見つけた石を持ち帰らなくなったのは。
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弊息子は早いもので7歳になった。
彼のポッケにはいつも、どこかで拾った石が入っている。
校庭で見つけた!
砂浜で見つけた!
裏山で見つけた!
どこにいても目を光らせ、石の採集にいそしんでいる。
なんで拾ったのか尋ねると、「綺麗だから」と答える。
そう、彼には石ころが宝石に見えているのだ。
そんな息子が今日、7歳になった。
この「7」という数字には、特別な思い入れがある。
ドラゴンボールが7個揃うとなんでも夢が叶うから、ではない。
卒論のテーマが「シュタイナー教育」だったためだ。
(ちなみに極めて不真面目な学生で、一年留年してなんとか卒業したレベルであることを告白しておく。つまり、以下に続く話はちっともアテにならない)
今や日本全国に学び舎がある「シュタイナー教育」の生みの親、ルドルフ・シュタイナーは、厳密には教育学者ではない。
思想家とも哲学者とも言われるが、自分のイメージでは、自然科学をベースにした神秘学者である。
堅苦しく言うと、「人智学」という概念を確立し、「人間は宇宙や自然との関りの中にあり、世界は目に見えるものと見えないもので成り立っている」と考えた学者。
平たく言うと、『星の王子さま』(サン=テグジュペリ著)の「いちばんたいせつなことは、目に見えない」を体系づけて実証しようとした学者である。
つまり、宇宙とか自然とかって人智を超えた不思議なことがいっぱいある。それを神秘だと人は言うけれど、こう考えれば説明がつくんじゃね?を探究した人なのだ。
さて、そんなシュタイナーは、人間の成長を7年スパンで捉えていた。曰く、0〜7歳までは「身体」を作る時期にあたる。
その「身体」とは、「肉体的な(健康な)身体」という意味だけでなく、宇宙や自然の神秘を受容する「精神的な(器としての)身体」も含まれる。
で、冒頭の石ころだ。
息子はシュタイナー教育を受けているわけではない。
でも、彼は石ころに神秘を見ている。
誰に教わったわけでもないのに、自然と。
子どもというのはそもそも、神秘への感受性が高い。
小難しいことを言わんでも、はなから備わっている。
ほっといても、スクスク育つ。
大切なのは、石を拾わなくなった大人が余計な口出しをしないこと。
「そんな石ころ、捨ててきなさい」なんて口が裂けても言ってはいけないのだ。
自戒を込めて。