平凡な非日常を生きている
新型コロナウィルスが日本に上陸して、一年半が過ぎた。
ニュースでは自粛だ、大変だ!と騒がれているが、こと島にいるとほとんど生活は変わらない。
そもそも過疎地なので、常にソーシャルディスタンスは保たれているし、不要不急な外出機会もあまりない。というか、締切と草刈を除くと、暮らしのほとんどが不要不急なもので構成されているので、影響を受けるアレやコレがないのだ。
一体これはどういうことだろう?
と思いながら、はや一年半。気づいたことがある。
コロナによってもたらされた「非日常」は、
自分にとっての「日常」だった。
ってことに。
こんなことを言うと、島は不要不急なものに溢れているように聞こえるかもしれないが(さっきは確かにそう書いた)、厳密にはそうじゃない。
急ぎで必要なものばかりがある(とされる)社会よりも、時間と空間がゆっくりゆったりなだけである。
これは、食べ物は買うものか、育てるもの(と考えている)か、に象徴されるんじゃないかと思う。
島に移住してきて、食べ物は育てるものだと知った。食べたいものがあったら、畑にタネをまき、苗を植える。農家じゃなくても、当然のように。
前者(買う)はすぐに必要なものが得られるが、後者(育てる)は数ヶ月待たねばならない。果物になると一年がかりである。
また、買う分には数日分の食べ物が保存できる貯蔵庫があればいいが、育てるためにはまあまあ広い土地が必要になる。
まとめると、
東京=速く・狭く(=急・密)
島=遅く・広く(=緩・疎)
となる。
「不要不急」の自粛要請は、この「速く・狭く」が求められる「急密(きゅうみつ)社会」では、真逆の生活を強いられることになる。アレもコレも必要だ!急げ急げ、タイムイズマネーだ!集まれ、一点に!とさんざん煽られてきたのに、いきなり「全部やるな」と言われたわけである。(東京で35年生きたからよくわかる)
一方、「緩疎(かんそ)社会」では、え!なになに?不要不急の外出はしちゃいけない?自粛!え、ソーシャルディスタンス!!そんな生活耐えられないでしょ・・・(半年後)・・・ん、あ、あれ?今までとそんなに変わらないぞ。いやいや、んなわけない。(一年後)・・・ん、ん、んん??
あくまで私個人の印象だが、こんな感じなのだ。
もちろん、東京に里帰りできなかったり、オンラインでの仕事が増えたり、いい歳こいたオッサン3人で読書会を始めたり、小さな変化はある。でも言ってしまえば、それだけなのである。
島に暮らして、はや6年。
ずいぶん遠くに来てしまったなーと思ってはいたが、今回の件ではっきりした。
僕らは、平凡な非日常を生きている。